第2回 〈ケア〉を考える会-岡山

20130929 ポスター/第2回〈ケア〉を考える会‐岡山.pdf
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第2回「〈ケア〉を考える会‐岡山」を開催します。

 

今回は「死」がテーマです。


専門も、職種も、年齢も、立場も、考えもそれぞれ異なる人たちが集まり、時と場を共にします。わくわくしてきます。
どなたでも参加できます。気軽に覗いてみてください。

 

■日時:9月29日(日)14:00~16:00 


■会場:川崎医療福祉大学 本館 6階 6001演習室(定員35名)
http://www.kawasaki-m.ac.jp/mw/access/index.php
※建物の1階(防災センター)から備え付けのスリッパに履き替えてお上がり下さい。
エレベーターで6階へ行きますと、降りた正面に案内標識があります。
駐車場を利用の場合は、福祉大学の職員・学生駐車場(病院とは道をはさんで反対側)をご利用ください。1時間100円です。


■内容:課題図書……清水哲郎『最期まで自分らしく生きるために』(NHK出版)。
今回は「身体の死――別れとしての死」と「死者を想う」(19~44頁)です。
読んで、思うこと・考えること、また、そこから連想・想起・発想する諸々について、語り合います。
※この本は、2012年7~9月NHKラジオ「こころをよむ」シリーズで放送されたもののテキストです。


■会費:無料


■懇親会……終了後に、会場近くの居酒屋で懇親会を開きます(希望者)。


■呼びかけ人
大賀由花(赤磐医師会病院、透析療法指導看護師)
河合清志(社会福祉士)
小林真美
清水昭雄(管理栄養士)
田中順子(川崎医療福祉大学リハビリテーション学科、作業療法士)
林道也 (社会福祉士)
平松邦夫(社会福祉士)
松川絵里(カフェフィロ副代表/大阪大学CSCD特任研究員)
山本広美(社会福祉士)


■参加申し込み・問い合わせ⇒「お問合わせ」ページより

 

 

第2回例会の後で

  「〈ケア〉を考える会‐岡山」 メーリングリストより

 

■ ≪菊井 和子≫ (敬称略)

第2回も結構盛り上がりましたね。

実は、私は第二回のタイトル「身体の死―別れとしての死」のメインタイトル「身体の死」を見落とし、サブタイトル「別れとしての死」に意識が集中していました。だから、死者と生者の“交流の断絶―≪別れ≫-”や、“共通部分の喪失、自らの物語の一部を喪失”という言葉ががすんなりと腑に落ちていませんでした。今、テキストを読み直し、納得する部分が多いです(全部ではないですが)。皆様は如何お考えですか。
死を「別れ」と捉えたのは岸本英夫(元東大哲学教授)で、1957年にアメリカで癌告知され、苦悩の果てに「死は別れのとき」と考えて納得したことを、著書「死を見つめる心」(講談社1964)で詳細に述べておられます。
岸田氏も清水氏もクリスチャンです。お二人とも著書の中で信仰については具体的に言及してはおられませんが、彼らの思想の根底には「天国で再会する」という希望、「祈ることにより悲しみを超えた世界が拓ける」というお考えがあるのでしょうか。
私自身は「別れ」というより、鷲田先生の「関係の変容」のほうが納得できます。私は「(死者からのメッセージを基に)別の物語が始まる」と考えています。いずれ死にゆく者(全ての人ですが)として、如何に多くのメッセージを残せるか(受け取ってもらえるか)、を課題にしています。

 

■ ≪林 道也≫

 参加者それぞれが、本を読んで心に残った部分を紹介して、なぜその部分を選んだのか発表する、読んでこれなかった人は読んできた人の発表を聞いてその感想を述べる、という会の進め方が松川さんから提案され、この方法で松川さんの司会により会が進みました。これがよかったと思います。
 
菊井さんのおっしゃる通り、結構盛り上がりましたね。
それにしても、皆さん、読みが深い。
観念的すぎて私には付いていけないようなところもありましたが、それも含めて面白かった。
 
死は自分のこととしては経験できない。他者の死として経験する。生きている自分が死んだ後どうなるか、誰にもわからない。でも、これは生きる者にとって最も大きな関心事のひとつであり、いろいろな人が様々に言う。ここに宗教的なものが入ってくる。自分にとって死は初めから観念的なものなのです。
 
「死」は、現に生きている自分が思い巡らし願うものと、自分が死んだ後で他者が経験し味わうものとを区別して考えたほうがよいと思う。その後者の「他者」を自分に置きかえて考えることも……。
 


■ ≪大賀 由花≫

9月29日は、遅れての参加でしたが少しでもご一緒できて感謝いたします。
その後、亡くなられた患者さまのこと、家族・友人を思います。
 
「他界移住」という概念が私にはすっきり入ります。
その方のお元気な時に交わした言葉が思い出されます。
また、天国で顔と顔を合わせてお会いできる時を楽しみにしつつ過ごすことができます。
きちんと向かい合って長年交流した方の死は、本当に辛いものです。
喪失感を癒すには、周囲の方々との語り合いが必要ですね。
本当に言葉の力を思わされます。
 
物語としての人生が折り合わされるとき、この世界で、
行き過ぎるのではなく、出会わせていただけたことに感謝します。
また、次回語り合える時間を楽しみにしています。
いつも有難うございます。

 

 


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